(写真:ハナニラ)
出エジプト15:1-11
15:1 そこでモーセとイスラエルの人々は、この歌を主にむかって歌った。彼らは歌って言った、
「主にむかってわたしは歌おう、
彼は輝かしくも勝ちを得られた、
彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。
15:2 主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、
彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、
彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
15:3 主はいくさびと、その名は主。
15:4 彼はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれた、
そのすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ。
15:5 大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵に下った。
15:6 主よ、あなたの右の手は力をもって栄光にかがやく、
主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
15:7 あなたは大いなる威光をもって、
あなたに立ちむかう者を打ち破られた。
あなたが怒りを発せられると、
彼らは、わらのように焼きつくされた。
15:8 あなたの鼻の息によって水は積みかさなり、
流れは堤となって立ち、
大水は海のもなかに凝り固まった。
15:9 敵は言った、『わたしは追い行き、追い着いて、
分捕物を分かち取ろう、
わたしの欲望を彼らによって満たそう、
つるぎを抜こう、わたしの手は彼らを滅ぼそう』。
15:10 あなたが息を吹かれると、海は彼らをおおい、
彼らは鉛のように、大水の中に沈んだ。
15:11 主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、
だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、
ほむべくして恐るべきもの、
くすしきわざを行うものであろうか。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/04/13
2020/04/12
2020年4月12日(日) イースター礼拝
今年のイースターは、志村キリスト教会の創立以来、初めての休会となりました。しかし、礼拝はそれぞれの家庭で、また個人ででも捧げることができます。主イエス・キリストの復活を思いつつ、それぞれの場所でご一緒にイースター礼拝をささげましょう。
「春に会う花、百合 夢路より目覚めて 限りなき命に 咲き出づる姿よ
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を」
(讃美歌496番2節)
2020年4月12日3分メッセージ
詩篇30篇4節、5節をお読みします。
主の聖徒よ、主をほめうたい、その聖なるみ名に感謝せよ。その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。
今日はイエス・キリストの復活を祝うイースターの日です。しかし、世界中の多くのキリスト教会は一つの場所に集まることができず、寂しさを覚えながらそれぞれの家庭でイースターを祝っています。
このような事態はイースターという喜びの日には、ふさわしくないと思われるかもしれません。ですが、イースターが祝うキリストの復活とは、キリストの十字架による死と切り離して考えることができません。キリストの十字架と復活は、キリスト教の信仰には両方とも無くてはならないものです。私たちが悩んだり、苦しんだりする時、その時こそキリストの十字架の苦しみを味わう良いきっかけとなります。
そして、私たちは同時にキリストの復活による勝利を仰ぎ見て、「主をほめうたい、その聖なるみ名に感謝」して、今日も神を礼拝することができます。
私たちが人生の大きな試練にあう時、ある人は「神の怒り」を思うかもしれません。たとえそうであったとしても、「その怒りはただつかのま」です。試練は決して永遠に続くものではなく、必ず終わりの時が来ます。それに対して、神の恵みは「いのちのかぎり長い」のです。キリストが与えると約束しているものは、「永遠の命」です(ヨハネ3章16節)。
「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」今年のイースターも、聖書の約束を信じて、ご一緒に喜んで主をほめたたえましょう。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。今年のイースターは世界中の人々と共に、喜びと苦しみを味わっています。まさに私たちの苦しみのためにキリストは十字架にかかられ、私たちの喜びのためにキリストは復活されました。苦しみよりも喜びが増していきますように、キリストの復活を思いつつ願い求めます。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020年4月12日(日) 礼拝ガイド
説教「私はあなたを呼び求めます」
詩篇30:1-8(お持ちの聖書をお読みください)
今日はイースターですが、教会に集まって礼拝できないことが残念です。ですが、私たちは教会に集まらなくても「本当の礼拝」をすることができます。本当の礼拝とは、人間に会うことではなく、神様にお会いすることです。
私たちも場所は違っても、心を一つにしてイースター礼拝を捧げていきましょう。今日の聖書の「詩篇」は、私たちと同じ神様を信じるイスラエル人の礼拝の賛美歌です。イスラエル人も心を一つにして神様を礼拝しました。そして、お互いの喜びや悲しみを分かち合いました。
3節の「よみ(つまり、死のこと)」や、5節の「涙」は、個人的な苦しみや悲しみでもありますが、それと同時にイラスエル全体の苦しみや悲しみを意味します。またそれはイスラエルの国の問題に関わることでもあります。イスラエル人は毎週の礼拝や毎年のお祭りで、国全体のための祈りを捧げているのです。
この詩篇は、私たちのそれぞれの祖国のための祈りとすることもできます。今、日本の国全体が苦しんでいる問題について、詩篇の言葉によって私たちも心を合わせて祈っていきましょう。また、感染症の問題は一つの国の問題ではありません。私たちは世界中の国々、人々の救いのために心を合わせて祈っていきましょう。
神様は私たちの祈りを聞いてくださいます。「あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。」(3節)その通り、イエス・キリストは十字架で死なれた後、三日目のイースターの朝によみがえられました。イエス様が復活されたことが、この詩篇30篇の言葉が正しいことの証拠です。
私たちが人間として生きる中で、涙を流すようなつらい出来事に会わない人は誰もいません。人間はすべて、涙も悲しみも知っています。人間は失敗しない人は誰もいません。クリスチャンも同じです。だから、教会では弱い人でも集まることができるし、お互いに慰め合うことができます。
また、同じようにすべての人は喜びを知っています。ですが、クリスチャンが知っている喜びは、悲しみよりもはるかに大きいのです。「喜んだり、悲しんだり」ではなく、「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(5節)のです。
主イエス・キリストは十字架で死なれた後、復活されました。そして、主は今、生きています。苦しみは必ず終わる時が来ます。主は信じる者に「永遠のいのちを与えます」と約束しています(ヨハネ10:28)。イースターのこの日、私たちは主が約束された永遠のいのちによって喜びに満たされ、主のあわれみを求めてご一緒にお祈りいたしましょう(詩篇30:8)。
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